日系人の歴史
ベイエリアの日系史
アメリカ本土における日系史の始まりとなった「若松コロニー」誕生から今年で150年。日系社会の原点を振り返り、そのルーツをたどろう。
■日本人初の移民「若松コロニー」

 日本からアメリカ本土への最初の移民団は1869年、明治維新で国を追われた会津若松藩士らだった。「若松コロニー」と呼ばれる22人の移民団は、サンフランシスコに降り立ち、サクラメントに近いゴールドヒルで茶と絹を栽培する農場の建設と若松領再建の夢を見た。彼ら以前にも、遭難して救助されたままアメリカに残った中浜万次郎(ジョン・万次郎)や、航海中に船が難破しアメリカの商船に救助された浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)などアメリカに渡った日本人はいるが、本格的な入植を目的としてアメリカに渡った日本人は「若松コロニー」が初となる。





■日系コミュニティの始まり

 1870年、全米に先駆けてサンフランシスコ日本領事館が設立される。1873年に同領事館副領事が報告したところによると、当時の在米邦人数は男性68人、女性8人、子ども4人。それはまだ、コミュニティのはじまりとも言えぬ黎明期で、働き盛りの男性労働者が大半を占めていた。初期移民は後続する渡米者の便宜をはかるため、就職口の斡旋やネットワークの構築に努めた。最初は白人家庭や白人経営の商店などで下働きをしていたが、やがて日本人経営の店も開業しはじめ、やがて広がりをみせていく。

■アメリカに3か所となった日本人街

 1906年の大地震、第二次世界大戦中の日系人強制収容などの困難を乗り越え、現在のアメリカに残る「日本町」は、サンフランシスコ日本町、サンノゼ日本町、ロサンゼルス・リトル東京の3カ所となった。1960年代には、サンフランシスコ日本町は再開発事業の一環で、古い建物が取り壊されるなどし、多くの商店や住民が日本町からの移動を余儀なくされるという事態に。1968年、7年の歳月をかけた日本貿易センター(Japan Trade Center)が完成し、センター中央には、日米親善のシンボルとして日本からサンフランシスコ市に平和の塔(五重塔)が贈られた。今年で52回目を迎える桜祭りがスタートしたのもこの時期になる。その後、日本のバブル崩壊を受け、多くの企業や商店が撤退を余儀なくされる中、2006年には、同センターの大部分を所有していた近鉄グループも撤退を決断。アメリカ企業である3Dインベストメント社が買収するも、金融崩壊による景気低迷を理由に改築延期を発表するなど、混沌とした状況が続いた。サンノゼ日本町でも、2000年代に入ってからカリフォルニアの日本町保存プロジェクトとして3つの日本町に予算がついたことで、記念碑やシンボルが建てられた。カリフォルニアの3つの日本町は、いまも日本町を将来にわたって長く保存すべく、行政への働きかけや、地域ぐるみで都市計画の実施等に取り組んでいる。

■日系史150年の歴史を祝うイベント

 2019年はアメリカ本土への最初の移民若松コロニーが入植して150周年となる。それを記念したイベント「WakamatsuFest150」がエルドラド郡の若松ファームで6月に開催される。また、先駆者である日本人を讃え、世界の日系人が交流するイベント「コパニ(COPANI:Convention of Pan American Nikkei)」の第20回目が、今年9月にサンフランシスコで開催される。北米・南米大陸の日系人が集う国際的な非営利団体パンアメリカン日系協会が2年に1度行うイベントで、アメリカ合衆国での開催は18年ぶりとなり、サンフランシスコはロサンゼルス、ニューヨークに続く全米で3番目の都市となる。

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