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●ベイエリアに住むことになったきっかけは?
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| 私は日本ではフリーライターとして、新聞にコラムを書いたり、広告のコピーを作ったり、という仕事をしていました。けっこう次々と仕事が来ていて忙しくしていたんですよね。そんな中、アジアにでも放浪旅行に行きたいなと思っていたら、ある時、仕事で知り合ったアメリカ人に「何をしていいかわからなかったら、バークレーに行ってみるべき」と言われたんです。当時、フラワーチルドレン・ムーブメントやビートニクに興味を持っていたということもあり、ジャック・ケアルックの本を持ってバークレーにやってきました。それが1986年のことです。 |
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●フラを本格的に始めるようになるまでのいきさつは?
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| ベイエリアに来てすぐヒッピーカルチャーにはまってしまいました。日本で忙殺されていた反動で、何もせずアクセサリーなんかをつくって売ったり、ぶらぶらして暮らしていました。それまで日本でためこんでいた不必要な情報を洗い流すという意味のある時期だったと思います。その後は独学で写真を始め、主に人物を撮りました。日本でもアメリカでも賞をいただいたり、エキシビションも開くことができました。それが90年代前半で、その時期は写真ともの書きをしながら食べていましたね。
踊りは、もともと好きだったので、フラカヒコ(古代フラ)だけでなく、現代フラ、アフリカンダンスなど色々なダンスを習っていたんです。ダンススクールで受付や掃除の仕事を見つけて、そこで無料で習ったりもしていましたよ。当時、バークレー周辺の詩人やアーティストとの交流もあり、カフェなんかで行われる詩の朗読会にも参加していました。ある時、バークレー、オークランドで行われた詩の朗読会で、自分で書いた「母なる地球へのメッセージ」をチャンティング(詠唱)しながらフラカヒコを踊ったんです。そしてその時に「これだ!古代フラに賭けてみよう!」と思ったんです。すぐに写真の機材など全部売り払って、フラをもっと学ぶためにハワイ島へ引越しました。
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●ハワイ島でのフラ修行についておしえてください。
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| ハワイ島では約5年間、電気も水道もない過疎地に住みながらクム(ハワイ語で先生)の元、フラカヒコに励む毎日でした。島のあちこちであったイベントにも踊りに行きました。ハワイ島は真ん中に火山があるため、島の一番下か一番上を海岸沿いにぐるっと遠回りする道しかないんですね。出かけることが多くなってくると、だんだん家に帰るのが面倒になってきて、チェロキージープのうしろの座席をとってマットレスを入れ、そこで寝泊りしていたこともありました(笑)。
ハワイ島に行くまでは、フラカヒコを創作して地球のために踊るんだ!なんて思っていましたが、実際にカヒコを深く学ぶほどその考えが変わりましたね。もっと謙虚になったんです。ウクレレやギターなどに合わせて踊る現代フラはフリースタイルですが、ひょうたん太鼓とハワイ語でのチャンティングに合わせて踊るカヒコは自然霊や神への奉納である神聖な舞踊です。それは長い歴史の中で、形を変えずに受け継がれてきました。私はその長い流れのひとコマでいいと思えるようになったんです。正しい形で踊ることは、ハワイのプライドをリスペクトすることでもあります。
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●現在の活動についておしえてください。
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| 1999年にクムの承認を受け、2001年にベイエリアに戻ってからはダンススクールやカレッジ、高校などでフラカヒコを教えています。ハワイ島へもほとんど毎月のように教えに行っています。あと、アフリカンダンスも教えていますよ。パフォーマンス活動としては、世界平和の祈りのサークルや、ベイエリアで毎年開催されるソウル&アートフェスト、戦争難民救済コンサートなどで踊っています。 |
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●あなたにとって仕事とは何ですか?
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| ライフプロジェクト。天から与えられたものです。以前はものを書くにしても、写真にしても一匹狼でやってきましたが、踊りを教えるという今の仕事は生身の人間とのコミュニケーションです。生徒をみんな自分の娘だと思っています。 |
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●今の仕事についていなかったら?
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| わからないですね。人生何が起きるかわからないですから。 |
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●英語で仕事をするということは?
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| 楽しいです。教えている時は、伝えるものがまずあるので、スラスラした英語じゃないけど逆にポイントだけはっきり伝えることができます。なるべく生徒を笑わせるようにはしていますね。 |
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●英語で失敗したエピソードは?
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| あるのかな。失敗に気づいていないと思う。だんだんと図々しくなっているんですね(笑)。 |
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●生まれて初めてなりたいと思った職業は?
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| うーん、わかりません。でもおもしろいのは三つ子の魂百までといいますが、小さい頃、おもちゃのピアノを弾きながら自分でつくった歌を歌って、よく近所のお友達を踊らせていたんです。踊りをやってからそのことを思い出して、不思議だなと思いました。 |
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●現在、住んでいる家は?
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| エクセルシオールで2ベッドルームの家に住んでいます。庭があって、犬が一匹います。 |
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●乗っている車は?
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| ベイエリアでは運転しません。ハワイではレンタカーを借りるか、あとはヒッチハイクもよくします。 |
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●睡眠時間は?
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朝は7時には起きて、夜は11時半か12時に寝ます。
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●休日の過ごし方は?
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休日の境がない生活ですが、時間ができたら、見晴らしの良いぽっかりとした空間に行きますね。
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●具体的にどんな場所ですか?
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フェリービルディングのそばのガンジーの像がある場所は、水辺でベイブリッジも見えて好きです。
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●よく行く日本食レストランは?
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ヴァレンシアと16th ストリートにあるWE BEです。座るとまずお茶と味噌汁を出してくれるのでホッとします。
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●お気に入りのレストランは?
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あまり外食はしませんが、Cafe’ Gratitudeというところは、おいしいヴィーガン・ローフード(熱を通さない菜食)料理が食べられます。
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●みさをさんはベジタリアンですか?
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主義は決めていないですが、お豆腐が好きなので昔からマクロビオティック的な食事をしていますね。でも心のこもったものを出されたら何でもいただきますよ。
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●日本に戻る頻度は?
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2004年に12年ぶりに帰国しました。その時に母と、これからは一年に一度は帰るようにすると約束しました。
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●日本に戻って驚いたことは?
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地下鉄の駅から家に帰ろうとしたら、道がずいぶん変わっていて帰れなかった(笑)。
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●日本にもって行くお土産は?
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オーガニックのもの。母が欲しいものと、アロマセラピーをやっている妹にアロマオイルなどです。
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●日本からベイエリアに持ってくるものは?
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お香と和菓子です。
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●日本に郷愁を感じるときは?
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| 首まで浸かれるお風呂が恋しいです。あとは夜、好きに外を歩くことも。 |
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●現在のベイエリアの生活で不便を感じるときは?
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バスがなかなか来ないときと、寒いとき。
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●現在のベイエリアの生活で不安に感じることは?
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医療費ですね。先日、歯が痛くて頬が腫れたんですが、いくら請求されるのかわからないから日本に行くまで我慢します。
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●一億円当たったとしたら、どのように使いますか?
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やっぱりハワイ島に家を買わなきゃいけないですね。
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●お勧めの観光地は?
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| 私が主催するフラの合宿です。カポホというところにあるジャングルの中の一軒家に泊まり、朝日を見ながらのチャンティングで一日を始め、フラ三昧をします。海や温泉池がすぐそこにあって、シュノーケリングもできるんですよ。参加者は見違えるほど輝いていくのがわかります。 |
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●永住したい都市は?
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| 日本、ベイエリア、ハワイ島の3角形を行ったり来たりできたらバランスが取れると思いますね。日本は平和ですし、ハワイ島は自然のエネルギーを感じられます。そしてベイエリアにいると問題意識を持つことができます。 |
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■インタビューを終えて
インタビューの後、フラとチャンティングを披露してくれたみさをさん。みさをさんが踊り始めたとたん、その場の空気が変わったような気がしました。自分の好きな道を真剣に追い続けてきた人特有の強さと輝きを感じました。
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